2014年10月13日

「ミスターオート」飯塚将光..死去

第64回G1オート発祥記念船橋オート祭 4日目の準決勝を買おうとPCを開きましたら
公式ではありませんが、ミスターオートが亡くなられたという情報が

「...どうかオートレースがこれからも続くように皆さん応援して下さい。」の言葉が頭に浮かび、ファンとしてはまずは車券を買うしかない。と中継をみておりました。中継では言及はありませんでしたが、中継中にスポーツ紙WEBに掲載。

放送終了後、公式にも

飯塚将光(元)選手 逝去について
SG日本選手権オートレース最多優勝記録など数々の記録を残され、昨年惜しまれながら引退(平成25年6月7日付)をしたミスターオート 飯塚将光(元)選手(船橋)が平成26年10月11日(土)に逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
http://autorace.jp/news/2014/1012_info/

飯塚将光記念(第2回初日5R )があるオート祭開催中か・・・
オート祭の「鉄人レース」のミスターオートの雄姿を思い出すな・・・

自分がオートを買い始めた時は、全盛期を過ぎた飯塚選手でしたが

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まさにレジェンドというべき存在でした。

連覇飯塚


秋本治のこち亀14巻(1980年)では、「あたぼうよ、飯塚といやあ日本一はええ男だ。」

銀次

オートレースを題材とした「110秒の戦士たち」 (1981年)

110

主人公の名前が「将光」。

将光

オートレースといえば、飯塚将光。ミスターオートだったんですよね・・・

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平成元年スポニチ オート界の至宝 飯塚将光

1000


2006年の船橋でのオールスターの準決勝で1着。公開インタビューが異常なほどの盛り上がりだったのを思い出します。

ミスターオートが第9回全日本選抜(H8年)以来、10年ぶりの大舞台へ。10R1着,飯塚将光選手。
http://www.autorace.jp/special/sg_race/2006/allstar/index.html


...去年2013年6月突然の引退発表

飯塚将光選手の引退について
昭和46年の選手登録以来、SG日本選手権オートレース最多優勝など数々の記録を達成しミスターオートの称号をもつ飯塚将光選手(船橋、9期、63歳、A199)から引退の届け出があり、平成25年6月7日に登録の消除を行いましたのでお知らせします。

引退コメント

...これからも、この素晴らしい「オートレース」がずっと続いてゆくことを祈っています。また、ファンの方に黙って辞めるわけにはいかないので、7月7日船橋オートでファンの皆さんの前で引退のご挨拶をさせていただきます。
http://autorace.jp/news/2013/0611_retire/index.html


5月の新聞のインタビューでは

オートレーサー 飯塚将光さん
この年齢でも走っているのは、やはり「オートレース」が好きなんですね。気持ちは今でもデビュー当時と変わりません。情熱が続く限り、いつまでも走りたいと思っています。
MyFuna - MyFunaねっと:2013年5月 1日


情熱が続く限りいつまでもと語っていたのに・・・どうして?と思っていましたが
7月7日の引退セレモニー。本場には行けませんでしたので、録画や行った方に話を聞きましたが

飯塚01

声を出すのも辛そうな・・飯塚選手。救急車も待機していたとか・・・
そんな状態での引退セレモニー本場の方はもちろん録画をみていた私も..そして、本当に本場に行かなかったことを後悔しました。

..昨年7月7日に船橋オートレース場で引退セレモニーを行ったときは「オートレースは人生そのもの。幸せな競技人生でした」とコメント。スタンドを埋めたファンから「飯塚選手ありがとう」の大合唱が沸き起こったが、実はこのときから胃がんに犯されていた。オートレースの繁栄を熱望していた飯塚さんが、廃止問題に揺れる船橋オートの行く末を心配しながら天国に旅立った。
http://www.daily.co.jp/newsflash/horse/2014/10/12/0007412757.shtml


8月に報知にコメントが掲載されていましたので・・と思っていたんですけどね。

ミスターオート飯塚さん「残念」
オートレースの歴史に深く名を刻んだ元選手・飯塚将光さんも、無念さを隠せずにいる。
5 「(船橋オートは)自分の生まれた1950年が初開催。21歳で選手になって、青春、人生のすべてをすごした場所でしたから、来年度限りで廃止されるとしたら、とても寂しいし残念ですね」できれば、このまま存続してほしい。「オートバイの排気音が問題ならエンジンの電動化で減音化し、走路もドーム化で対応できるのなら・・・」と独自の”改革論”を語った。「船橋オートでは、ファンの皆さんにも関係者の方々にも、とても温かい対応を受け、現役時代はお世話になりました。オート発祥の地は、何としてでも残してほしいですね」。”ミスターオート”として君臨した名選手ならではの感慨を口にしていた。
2014年8月5日スポーツ報知より


車券はもちろんレースでの妙技、トークショーなど色々楽しませていただきました。

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ありがとうございました。謹んでお悔やみ申しあげます。

DVD


この記事へのコメント
はじめまして 

当方、幼稚園に上がる前から親父に浜松オートに連れていってもらってました。子供にはオートレースのことはよくわからなかったけど、飯塚将光って選手がメチャクチャ強いってことはよく理解できました。

浜松での選手権、先行する地元のエース・鈴木辰巳選手を、残り2周ぐらいで交わしていって優勝をかっさらっていった飯塚選手の強さ、子供心に憎たらしかった(笑)

親父と同級生の飯塚選手の訃報、大変残念ですが、向こうから、ずっとずっとオートレースを見守っていただきたい。と願います
Posted by sin at 2014年10月13日 07:12
昨日、職場でこの訃報に接し、暫し絶句してしまいました。
自分がオートを見始めた頃は確かベルホージョウの頃だったと思います。
子供心に赤いベルホージョウと白いバージニアンの対比にときめいていたものです。
私の親父などは『世界の且元、宇宙の飯塚』なんて言ってました。とにかく、嫌になるくらい強かった。

引退式は生で見ましたが、一目で具合が悪いと見て取れ、とても心配になりました。まさか、これほど早く召されてしまうとは・・・。

ただただ、ご冥福をお祈りする次第です。
Posted by スプリーセン at 2014年10月13日 13:44
数年前に一度コメントさせてもらいました。昨年の引退式に行こうと思いましたが所用で行けず、CS録画で観ました。でも飯塚さんの痩せた姿を見て、もしかしたら?でも変な病気じゃなければいいんだけどな、と思いました。小さい頃から父親に連れられて行った川口オート。スプリーセンさんが言ってる通り、真っ白な車体のバージニアンが大好きで、遠征で来る真っ赤な車体のホージョウとの対決が楽しみでした。私の中で1つの時代が終わったような感じがしました。同じ時代に生まれオートレースを好きになり、オートレーサー飯塚将光の走りを観られたことを光栄に思います。
Posted by ゆうゆう at 2014年10月14日 11:14
sinさんスプリーセンさん ゆうゆうさん...コメントありがとうございます。

皆さん、古き良き時代のオートを生で観戦されていて参考になりますし羨ましい限りです。
引退セレモニーの心からの「ありがとう!!」のコールでもわかりますが、ホントミスターオートでした。
2011年の船橋競馬☓船橋オート合同東日本大震災復興支援プロジェクトで飯塚選手がサイン会に登場。その時並んでいる客はみんなすごい嬉しそうにしていたのを思い出します・・選手のサインとか興味はないのですが・・ミスターは特別でしたね・・並んどけばよかった・・
Posted by para0080 at 2014年10月15日 08:21
昭和51年友人にさそわれて、船橋オートにいきました。その当時でも、ホージヨウに勝てる競争車はまれだったとおもいます。一度だけ、試走の時「飯塚最高だ〜」友人と二人で言ったら、手をあげてこたえてくれました。最高の思い出です。ミスターオートが病に倒れるなんて残念でなりません。わが青春のホージョウ、ご冥福をお祈りします。ありがとう。
Posted by 敬愛太郎 at 2014年12月29日 11:48
ご無沙汰をいたしております。

片平巧選手がおなくなりになったとYahooのニュースで知りました。
また一人、オートレースの星が墜ちてしまいました。
早すぎます。合掌。
Posted by 曳馬 at 2015年05月20日 23:55
敬愛太郎さん
コメントありがとうございます。そのような当時の思い出話っていいですね・・

曳馬さん
お久ぶりです。
・・あまりにも突然の訃報に今は言葉が出ません。

Posted by para0080 at 2015年05月22日 10:33
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