2007年07月21日

「不死鳥」植木通彦..引退。

植木通彦(1968年4月26日 - )が・・・まさかの引退。

早いですよね・・・
私は、「艇王」の異名より。「不死鳥」 の異名の方が・・イメージが強いですが・・

不死鳥 不死鳥02

福岡県立小倉商業高等学校時代は野球選手であったが、父親が多額の不渡りを掴んでしまったことがきっかけで高校を2年生時に中退して全国モーターボート競走会連合会本栖研修所(現在は、やまと競艇学校に移転)に入所。1986年 福岡競艇場でデビューした。

選手生活3年目の1989年1月16日、桐生競艇場でのレース中に転覆した際、後続艇のペラで顔面を切り刻まれ、全治5ヶ月、傷の縫合に75針を要する重傷を負う。この時、救急車の中で、付き添いの競艇場職員に「スタートが正常だったか否か」の確認を求めたという逸話が残っている。半年後、レースに復帰するが、負傷した競艇場での復帰を避ける選手がほとんどの中で、自身を奮い立たせる意味を込め、復帰戦の場として桐生を選んだ。この経緯から「不死鳥」の異名が植木に与えられる事となる。
植木通彦 - Wikipedia  より

75針の怪我から笑って帰ってきた男がいる。....「俺には走ることしかない」


この大怪我から復活。野中や今村をモンキーで・・・・・・
この、植木全盛期の90年代の競艇が・・・私は好きでした。

今回の、引退報道を知った時は・・・

平成19年3月21日(水)東京:平和島競艇場のSG第42回総理大臣杯優勝戦
での、まさかのF(フライング)

植木コンマ01、痛恨フライング…総理大臣杯最終日
ピットへ引き揚げてくるなり「すみませんでした」と競技委員長に深々と一礼。取り囲む報道陣に「大勢の人に迷惑をかけて申し訳ない。自分の責任です」こわばった表情で淡々と答えるのが精いっぱいだった。
2007年3月22日06時03分 スポーツ報知 (cache)

優勝戦売上 :      20億6196万  100円
優勝戦返還 :      17億4522万7700円
優勝戦差引売上 : 3億1673万2400円

とんでもない額の返還の原因になってしまい・・・責任感。
1年間SG、半年GIに出れないわけで
久々のSG制覇→地元賞金王・・・・がダメになって・・集中力モチベーションが・・・

・・0.1秒で・・・これが原因か・・・かな?と思っていましたが・・・・

記者会見の記事を見てみますと・・


速報・植木通彦、引退会見
「今回の引退は、桐生での事故(89年1月。不死鳥伝説の幕開けとなる顔面を縫う大ケガ)の後、 これからどうしようかと考えたときに、桐生のみなさん、そしてお世話になったみなさんのためにも 『20年間、命を懸けて走ろう』と決心しました。そしてその20年が来ました……」
と、冒頭に語っていた植木。

平和島総理杯での優勝戦フライングは「笑って言えることじゃないんですけど……」としたうえで、「もし、フライングでなく優勝していたとしても、ここで辞めていたと思います。桐生の事故から、 “20年”と考えてやってきて、気力を振り絞ってやってきました。 もう『体力の限界』となったら、今後の人生を歩む力もなくなってしまうわけで、
そんなことはないんですが……ただ……気力はもう振り絞ってもカラに近いのかもしれません。 今日、桐生の事故の際に僕のヘルメットを外してくれた方とお目にかかったんですが、 『また事故をしてしまうかもしれない……』 というのは、そのときからずっと頭を離れないんです。僕も人間ですから……(笑)。
それで20年やってきて、また30年へ、というのはもうできなかったんですね……」 
と、寂しそうに語った植木。
@nifty競艇特集:2007年07月20日  より


本当に一言・・・・お疲れ様。 

中道との伝説のレース



 
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 きのうのつづき。やっぱり気になるもんね。スポニチは速報で「艇王 植木が引退会見」という記事を載せた。 ただ、これは速報なので、オフィシャルサイトのニュースリリース「植木通彦選手の引退会見の結果について 7??
植木通彦の引退会見【東洋亭パーツ館新本店】at 2007年07月21日 09:43
この記事へのコメント
私も植木の全盛期、ベテランの中道、野中、黒明あたりががんばってて、下から松井とか新世代が台頭してきた、あのころの競艇が好きでした。

植木の引退で、ひとつの時代が終わったような気がして、さびしいかぎりです。
Posted by よが at 2007年07月21日 09:47
平成7年の第10回賞金王決定戦競走の動画を見直しましたが・・・

中道との死闘もそうですが(ぶつけられても外に飛ばないのはスゴかった・・)
あの・・野中をコース取りで当たり前に外にやってしまう・・
ベテランに遠慮しないそんな植木が好きでした。(その時は野中を買っていましたが)

まだ、39歳ですけどね・・・残念で寂しいですが・・
本当に、お疲れ様。 の一言です。
Posted by para080 at 2007年07月21日 10:37
自分は、植木の初SG戴冠となる、戸田の総理杯から競艇を初めたもので、まさに一時代の終わりを感じました

まだまだお地蔵さんターン全盛の時代、植木のキレキレのモンキーは異彩を放ってましたね

Posted by 雨 at 2012年07月29日 23:32
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